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2月10日の世界史問題の解答、解説です!。その①

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家庭教師のLNSです!

 

2月10日の世界史問題の解答、解説です。

 

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問1 南北朝時代~唐の時代までの中国史

 

     A.   唐の時代から明の時代まで続いた両税法は何故そのように

   よばれましたか?20字以内で書きましょう。

 

解答:夏と冬の2つの時期に課税されたから。

   (17字) 

 

解説:南北朝時代より行われていた均田制(きんでんせい)、租

   庸調(そようちょう)制度は8世紀も後半頃になると重い

   重税から逃れる為に与えられた土地から逃亡する農民が相

   次ぐようになりました。その為、均田制、租庸調制度の元

   となる戸籍(こせき)、計帳(けいちょう)制度が機能しな

   くなり、二期作、二毛作の普及ともあいまって夏6月に絹、

   綿、麦など、冬の11月には麦、粟を収める両税法(りょう

   ぜいほう)と言われるものに替わられるようになりました。

 

     B.Aの時代より前の南北朝時代における支配的国家で行わていた   

   前身の徴税制度は何ですか?

 

解答:Aより均田制、租庸調制度です。

 

解説:北魏の時代には地方に軍閥が割拠しその管理の元に中央へ納

   税が行われている仕組みでした。これを中央が一括してコント

   ロールするようにし、一定以上の年齢の男女にそれぞれに応じ

   て田を給付し、そこから北魏以降の各王朝によって租庸調の中

   身は異なってきますが、租は粟(あわ)を、庸は絹か麻を、そ

   して綿を、丁は兵役(へいえき)です。時代が下るにつれて逃

   亡農民や大土地所有者が表れてきた事により、両税制へと移り

   ます。

 

 C.   隋の建国者は何という国の実力者でしたか?

 

解答:北周(ほくしゅう)です。

 

解説:隋の建国者、文帝(ぶんてい)は北周の大司馬(だいしば

   (現在の国防長官相当))で大いに権勢(けんせい)を振る

   いました。北周最後の皇帝静帝が幼かった事から禅譲(ぜん

     じょう(皇帝が有能な人物にその地位を譲る事。ただし、実

            際には有能な者が皇帝を脅す形で皇帝の位を譲らせたケース

            が殆どです。))を受け、ここに新たな国家隋の初代皇帝文

            帝となります。

 

     D.  唐の時代の軍事制度で当初各地に10置かれ、徴兵制では無  

     く各地の節度史と言われた監督官が半ば半独立的に屯田、国

           家からは給金を貰っているこの軍事制度を何といいますか?

 

解答:藩鎮(はんちん)です。

 

解説:唐の時代、最初は府兵制(ふへいせい(現在の徴兵制のよう

   なもの))が地方軍事、対外活動の制度として取られていま

      したが、この制度は農民に長い年月を徴兵期間に充てる事で

   負担が大きく、その士気、意欲も低いものでした。唐の領域

   (りょういき)が拡大するにつれて徐々に辺境地域での防衛活

   動の強化の必要性が生じ、節度使とよばれる長官を頂点に各

   地域に当初10置かれ、府兵制ではなく募兵制(ぼへいせい

   (兵士を募集する事))で、各藩鎮の兵士は各地で屯田(とん

   でん(その地域で田を耕す事))し、国家より給料を支給され

   ていました。

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